寛永時代の『草人木』に、故人達が道具を用いる時の名目順は、一茶壷、二釜、三茶入、四文字、であったことが書かれている。壺が悪しければ茶が悪しく、茶が悪しければ茶の本意を失う、といわれていた。道具の第一は「茶壷」であった時代がある。茶家において、一年間葉茶を保存する茶壷の質が悪ければ、そもそもお茶を差し上げる根本が成り立たない。次に、良い湯を沸かすことができる「釜」が重要だった。美味しい茶葉を使用しても、湯が悪ければ台無しである。「一茶壷、二釜」この二つは、茶を美味しく提供するための基本となる、必須の道具であった。
改めてこの言葉をかみしめてみる。良い道具を使って、良い点前をし、良い空気を作り出して一会を最高のものにしても、茶が美味しくなければ何の意味もない、そう戒められているような気持になる。様々な趣向で茶事を練り考え、一つ一つに意味を持たせて組み立て、最高の流れで行うことをいつも意識している。そのような形を作りあげる、その試行錯誤が、大変だけれども亭主の喜びの極みであることは、所謂皆様が周知の「亭主七分に客三分」という言葉に表されている。しかし、あまりにもそれに夢中になると、本質を見失ってしまう。自分は客に美味しいお茶を差し上げるのだという根源を、置き忘れてしまう。素材の良い旬の食材を使って、その食材が一番美味しく頂ける手段で、さりげない素朴なうま味を一層美味しく感じながら味わってもらう料理のような、そんなシンプルな事が非常に大切であることも忘れてはならない。我々はそのために点前を修練し、茶と湯の分量を身に付け、美味しいお茶を練る技術を磨く。この一点に付随して、器があり、花があり、香があり、人の姿がある。茶事の趣向がある。全てのバランスが取れて初めて、本当の心地よい空間となる。
その昔、茶壺の口を切り、中の葉茶を碾(ひ)いて抹茶にするための石臼、茶臼も重要な脇道具であった。茶臼は静かに心を落ち着けて回さなければ、茶に摩擦熱が加わったり、ムラになったりして、良い抹茶が仕上がらない。江戸前期、京都所司代の坂倉重宗は、訴人の訴えを聞く際、心を落ち着けるために茶臼を引きながら耳を傾けたという話が残っている。松尾芭蕉の『石臼頌』には、
市中にあって俗塵によごれぬものは(中略)ただ石臼のひとつのみ。
と書かれている。それだけ穢れのない、純粋でまっすぐな、きっぱりとした清浄を貫く道具であったのだろう。不思議なことに茶を挽くとは、なんとなく坐禅でもしているかのような、無になるための時間のようにも思えてくる。茶葉を粉にするこの茶臼を、そんな目で見たことはなかった。茶道を習い始めた平成の初期、茶臼を回しつつ退屈でじれったくて、疲れて左手を畳に付きながら茶を挽いていて怒られた、という始末である。もっと緩やかな話では、売れない遊女を「お茶挽き」と呼んだことも。遊里では客が付かず手のあいている遊女にお茶を挽かせた、ということから生まれた言葉である。
もうじき炉が開き、そして口切の季節になる。茶壺が、そして釜が、茶臼が、皆様の前に現れる。道具を見て何を感じるかは、その人の生き方に比例するのかもしれない。古の人々の姿から、そんなことを学べるのも茶の湯である。
令和2年10月23日 畑中香名子


